イタリア紀行4 シエナのお菓子、パンフォルテ

シエナの伝統的なお菓子、パンフォルテ。

元スタッフ石井がシエナで買ったパンフォルテ。 ラインで画像を送ってくれました。

 

フォルテは強いという意味で、直訳すると『強い、固いパン』

日持ちのするパン、という意味です。

中世から作られているお菓子で、

ナッツやドライフルーツ、ナツメグや胡椒、シナモン、等のスパイス、ハチミツを合わせて火にかけ、

オーブンで焼いた、固く、噛むとねっとりとしたヌガーのようなお菓子です。

 

中世の宿場町として栄えたシエナ。

交易の重要拠点でもありました。

ローマと北ヨーロッパを結ぶフランチェジーナ街道が通っており、

そのためスパイスも手に入りやすかったのでしょう。

日持ちのするパンフォルテをシエナで旅人は購入し、

道中、食料がないときに腹持ちのするナッツやドライフルーツのぎっしり入ったパンフォルテを少しずつ食べたとか。

 

シエナに住んでいる若い人たちはあまり好まないお菓子です。

でも、生粋のシエナっ子の家庭では、よく食べられます。

シエナで生まれ育ったシエナの人達のシエナ愛はものすごく強く(夏のお祭り、パリオで炸裂、それはまた次に)

当然、パンフォルテもシエナの重要都市国家としての歴史を誇るお菓子。

誇りに思ってます。

食後のデザートとして、

カフェや食後酒のヴィンサントとともに楽しんだりします。

 

イタリア紀行3 シエナへ

イタリアに修行に行った元スタッフ石井からのラインがあると、

自分が初めてイタリアを訪れた時、新鮮に感じたことなどを思い出します。

同居するイタリア人大家さんが、ものすごく綺麗好きだそうで、

以前ブログにも書きましたが、そうそう、イタリア人の家庭のキッチンって本当にピカピカなんだよな、と思ったり、

まな板が家にない、と聞けば、そうそう、器用に小型ナイフと手を上手く使って、何でも空中で切っちゃうんだよね、と思い出したり。

自分も同じ事に驚いていたな、と懐かしく感じます。

 

週末には、フィレンツェからシエナに日帰り旅行に行ってきたそうで、

イタリア生活を楽しんでいるようです。

シエナは旧市街が世界遺産にも登録されている小都市で、フィレンツェから1時間半位で行けるので、

お勧めです。

 

 

シエナのシンボル、狼に育てられた双子、ロムルスとレムス。ロムルスがローマの都市を作り、ロムルスに殺されたレムスの息子が北に逃げ現在のシエナを作ったという言い伝えられている。

 

 

バスでも列車でも行けるのですが、バスの停留所は旧市街から徒歩7~8分で行けるのに対して、

列車の駅は旧市街から離れています。

以前は列車で行くと、駅でなかなか来ないタクシーやバスを待たなくてはならなかったのですが、

今は駅前から旧市街入り口までエスカレーターがあるそうです。

石井が送ってくれたシエナの旧市街へのエスカレーターの入り口の写真

渦巻のマークは、『Centro』旧市街の意味で、このマークを目指して行けば、

旧市街に到着できます。

こんな感じで、エスカレーターをいくつか乗り継いで10分ほどで着くそうです。

便利になったもんだと驚きです。

 

イタリア紀行2

先日イタリア修行に旅立った、元スタッフ、石井。

フィレンツェにしばらく滞在予定で、日本からアパートも確保。

日本からの飛行機が着くミラノでの滞在を数日間楽しんだ後、フィレンツェへ移動。

ところが、当日約束の時間にアパートに行っても、

知らされていた住所に大家さんの名前はなく、電話をかけても誰も出ず。

1時間、2時間、、。

アパートの5階から1階まですべての家の呼び鈴を鳴らし、大家さんの名前を聞くも、

インターフォンからの返答は『知らない』と。

 

この話を聞き、イタリアという国の洗礼を受けたな、と思いました。

 

僕自身、似たような経験をしていたからです。

修行先、『リゴレット』で働き始める日、緊張してレッジョーロの駅に降り立ちました。

当時『リゴレット』はミシュランの1つ星レストランでしたが、リゴレットのあるレッジョーロの街は、

当時住んでいたモデナからローカル線で数時間に1本という田舎町でした。

駅から5キロの距離にあるレストランまでは、シニョーラが車で迎えに来てくれる約束でした。

ところが、駅で降りる人も、駅前にも、誰もいない無人駅。

『リゴレット』に電話をしても誰も出ず。

駅前に1軒だけあるバールで時間をつぶし、しばらくして電話しても変わらず。

 

レッジョーロの街にはタクシーはないので、しょうがなく、5キロの道のりを1年分の荷物を詰めたスーツケースを引き摺りながら

『リゴレット』に歩いて行きました。

 

ところが、

・・・

レストランの電気は消え、誰もいない。

待つこと1時間、2時間。

電話には誰もでなく、そしてレストランには誰もいない。

結局、近所の人に連絡をとってもらったところ、シェフの奥さんの親戚が急に亡くなり、この日はレストランを休業したそう。

それにしても、

メモを貼っておいてくれるなり、コックの寮の誰かに伝えてくれるなりしてもよさそうなものの、、。

 

石井は、と言うと、

大家さんのメールアドレスを知らされていたことを思い出し、『アパート前で待っている』と大家さんにメールを送り、

そのメールが携帯に転送されたのか、それを見た大家さんが迎えに来たそうです。

住所が間違っていたのか、2軒先の建物で、

大家さんは用事があったので約束の時間に家に戻れないことを電話したけど、電話が通じなかった、と。

イタリアらしい、イタリア生活のスタートを切ったようです。

 

 

 

 

イタリア紀行1

今まで5年半リゴレッティーノを支えてくれた石井がイタリアに旅立ち約10日。

無事にミラノに着き、ミラノ滞在を満喫した様子。

 

ルイーニのパンツェロッティも食べたとのこと。

ドゥオモからすぐ近く、1888年南部プーリアから北部ミラノに移民したアゴスティーニ・ルイーニ氏の

老舗の揚げパン屋、『ルイーニ』

南イタリアのプーリア出身のルイーニさんが故郷の味、モッツアレラチーズとトマトの入った揚げピッツァ、パンツェロッティを

ミラノで紹介したところ人気になったお店です。

パンツェロッティをミラノに広めたとして、

その歴史的功績?をミラノ商工会議所やロンバルディア州政府から認められ賞をいくつかもらっています。

ミラノで働くイタリア南部出身者に、故郷の味を与え心を癒してきたと言われています。

 

僕がイタリアにいた時代はすごく古ぼけた昔風の店だったのに、調べたらいつの間にか改装して、今時のお店になっていました。

今はミラノにもナポリ風のピッツァを食べられる店は色々あり、

その存在、その味は、もしかしたら特別ではなくなったかもしれません。

でも以前は、十数年前でさえ、南に行かないと塩気がしっかりきいたもっちりしたの生地のピッツァはなかったんです。

そんな中、店が変わりながらも(多分今は三代目が店をやっているはず)、

新しい世代に、外国からの観光客に受け入れられ、ずっと続く、

それは素敵なことだと思います。

 

さて、ミラノを楽しんだ後、石井はしばらく滞在する予定のフィレンツェに移動。

そこでイタリア式洗礼を受けることに。

 

 

 

ボローニャの食事箇所等の情報

備忘録を兼ねて、ボローニャのカフェ、レストラン情報です。

Vineria Favalli』ヴィネリア・ファヴァッリ

St Stefano5/a

自然派ワインが豊富に揃うワインバー

 

Sfoglia Rina』スフォリア・リナ

via Castiglione5/a

詰め物パスタ等伝統的なエミリア・ロマーニャのパスタを食べられる

 

『Piglia la Puglia』ピリア・ラ・プーリア

Reno9/b

カンノーロやプーリア州のお菓子が買える

 

Forno Brisa』フォルノ・ブリーサ

Via galliera34/d

色々な具がのったフォッカッチャやハードパン、焼き菓子

 

Galliera’49』ガリエラ49

2005年オープンの素材にこだわったジェラテリア、雑誌にもよく載っている

フォルノブリーサの向い、11月から冬期休業

Cremeria St.Stefano』クレメリア・サン・ステファノ

ガンベロロッソで3コーンのジェラテリア

 

L’arcimboldo』アルチンボルド

伝統料理を現代風にアレンジ、若いシェフでイタリアの料理雑誌にも載っている

 

 

以前記事を書いた3軒

Da Pietro

Borgo979

Trattoria  da Me